絵が上手くなる為の「正論」や「辛口添削」について考える

イラスト用の雑記 イラスト上達のための正論、辛口の批評についてなど イラスト

Xをだらだらと眺めていますと、絵の描き方についての心構えや、技術的なノウハウなどがパラパラと流れてきます。興味深くて思わずブックマークしちゃうものもあれば、自分に言い聞かせるかのような決意を呟いたものや、青バッジの金稼ぎくさい、返答を誘ったり、反発心を煽るような感じの文章だったり、色々です。

絵を上手く描くためにはこうあるべきでは?という考えを吐露するのはもちろんいいと思うのですが、大いに主観が混じっているのに正論という言葉を使ったり、なんか妙に刺々しく感じたり、わざわざ敵を作りたいのかと思うような論調も見かけたりするので、その辺のことについて好き勝手に語りたいと思った記事です。役に立ちません。

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正論で相手が言い返せなければそれでいいとはならない話

絵が上手くなろうと思ったら、一にも二にも練習だというのは、私もそうだと思うのです。描きたいものを観察する、こう描くといい感じになるかな?と仮説を立てる、試してみる、どこが上手くいって、どこがイマイチだったか考える、それぞれその理由と改善方法を考える、調べる……こういった繰り返しによって段階的に上手くなるものだと。

どんな時も鋼の意思でそれに没頭できればいいのですが、人間というのは様々な理由から、踏み出すべき一歩すら踏み出せなかったり、継続的な努力が出来なくなる人がごまんと存在して、それぞれが悩んでいます。

そして当然ながら行動しなければ結果は出ず、それに対して、やらないからできないんだろ?と言いたくなる気持ちも分かるのです。だって言う側は努力してそれなりに成果を出してきたから。自分も出来たんだからお前らも出来るだろ?という雰囲気や論調になってしまいがちだったり。

ただ、出来ない人に対して、これこれでこうだからお前はダメなんだ!言い訳ばっかり、逃げてばっかり、やるべきことをやってないからできないのは当たり前だろう!と言って叩き潰してしまうのは、買わなくてもいい反感や敵意を買う、リスクのある行為で、自分の為にも相手の為にもなりにくいと思うのです。

ここまで攻撃的な言い方でなくても、追い詰める意思がなくとも、淡々と、上手くなるためにはこうすべきという口調であっても、その後に〇〇な人が多すぎる、これをやらないのが良くない、などと否定的な言葉を足すだけでも、「だからといって悪いというのか!攻撃された!否定された!」とスイッチが入ってしまう人は多いです。この投稿はそこまで言ってないのにな……と思うほどに、良くない受け取り方をして怒っている反応もちらほら見かけます。

全てを決めつけるつもりはありませんが、まだ出来ないことが多い人や心が弱っている人、自己肯定感が低い人などは、不安や怒りや焦燥感、過去の経験、実は内包しているかもしれないプライドの高さなどから、色々なことが許せなかったり、ちょっとしたことでも悪く取りがちではないでしょうか。

また、Aじゃないですと言われて、じゃあ反対のBということだな!と極端な思考だったりする人もいるでしょう。人の考えにはそれぞれ、グラデーションになっている部分があって、その白黒の割合も人によって違うのに、視野が狭くなって、白か黒か、賛成か反対か、敵か味方か、真っ二つにしてしまう人が多い印象です。

私はこれを責めたいわけではなく、自分が出来る側だと勝ち誇りたいわけでもありません。なぜ今回のようなことを記事にしたかというと、Xに流れてきた、「絵が上手くならない人はこういう努力が出来ておらず、言い訳、怠慢、先延ばしばかりだから出来ないままなんだ」みたいなポストを見て、その言葉で自己を律してプラスになる人も、ただ憎悪を感じる人も両方いるだろうなと思ったから。そしてこの言葉は、言い方のキツさはあるにしても、間違っているばかりだとは言えないとも思ったからです。ただし、間違ってはいないと言えども、出来ない人それぞれにある様々な事情までは考慮していない言葉でしょう。

私のブログでは、絵に対しての考え方や、私なりの上達方法などを書き連ねていて、また、それを書くのが楽しくて、不特定多数の人が見られる場所に置いてあります。なので自分が要らぬ誤解や反感を買わないための確率を、少しでも上げておきたいと思ったという部分もあります。私の他の記事の中で、「それが悪いということではありません。」という言い回しが結構あるのですが、それも「攻撃された!」と思う人を減らしたいという気持ちからです。そこそこ強めの言葉を使うこともあるし、なるべく多くの人に、悪く取られないようにデリケートなことを書こうとすると、文章はクドくなるのです。

やるべきことがやれずに上達できない人のことを考えて何かを言うとしたら、「すべきことをやってないから出来ないんですよ」ではなくて、どうしたらやる気が出るか、少しずつ小さなことから達成して次のステップに行けるようになるか、みたいなことだと思うんです。でもそれって難しいですよね。適した方法も人それぞれだし、私も知りたいくらいです。

努力して何かを成してきた人は、「俺はこれだけコツコツやってきた、だからここまで来れた、出来ない人はやってないから出来ないんだ」と口に出すことで、自信、やる気、その他もろもろを摂取している面もあるのかもしれません。自分のメンタルが不安定な時に立て直す手段だったりとか。自分の努力の成果を声高に誇ることや、出来てない他者と比較するのって、ある種の充足感があるでしょうし。

他者と比べての自慢ではなく、単純に自分が頑張ったり成果を出してきたことを喋るのって、楽しいと思うんです。見て見て頑張ったよ、この絵いいでしょ、こうやったら上手く描けたよといった不特定多数への投稿、それだけなら全然悪くないと思います。

対して、特定の誰かに向けたわけではないとしても、出来ない理由を考えるのはもちろん大事だとしても、こうするからダメだ、これをしないから出来ない、努力が足りない、そう言った意味合いの言葉を発するときは、余計な反感を買わないように注意したいものですね、という話でした。

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辛口の批評ってなんだろうと考える

回りくどくオブラートに包んだりしないで、言うべき改善点をズバッと言う。これって好きな人も苦手な人もいますよね。ちなみに私は嫌いじゃないです。

「自分なりのお絵描き上達論」みたいなのを発信するときに妙に言い方がキツイ投稿を見た、という話から、派生する感じの話題かなと思うので、いわゆる「辛口添削」についても好きなことを書きたいと思います。

絵の批評、指導、添削を相手に頼まれてするとき、向こうがダメージを受けないようにやさしく言うなら、良いところを先に伝えるなどの工夫がありますよね。「構図がダイナミックでいいね!あと全体的に線が丁寧!あとは、線の丁寧さに、描く物の重要度によってタッチの強弱を加えてやると、見せたいものが伝わりやすくなるよ!さらに、色のコントラストが……」みたいな感じです。言われた側が、出来てないことばかりだな……と意気消沈しないように、飴と鞭を使い分けるということです。

相手の気持ちは考えずに至らない点を率直に言うこと、これを「辛口添削」と表すのは別にいい思います。例えば「デッサンが未熟」「色の塗り方のここが良くない」などなど。きちんと具体的であることも重要です。「色の塗り方が良くない」より「明るいところと暗いところのコントラストがはっきりしてないから絵にメリハリがない」の方が、言われた側が何を指摘されたか理解しやすいですよね。

昔ながらの、見て覚えろ系の人にありがちなイメージの、「これが出来るまでは次の指導には進まない」と言い放って、今の課題を達成する具体的な方法やそれをする理由には全く言及しないかったり、ある程度行き詰っていてもヒントを出したり様子を見てやることもしない、とかは嫌いです。自分で試行錯誤することも大事だとは思いますが、教えるという観点で話すなら、これは厳しいとは違うと思います。

他には例えば、ここに来たらまずは〇年は皿洗い、先輩の世話、ひたすら使いっ走り、技術に関係ない雑用だけやりなさいみたいな、みんなやってきたから当然お前らもやれ、みたいなのも大嫌いです。することにきちんと理由のある下積みなら構いませんが、苦行を課すこと自体が目的なら、無駄の多い厳しさじゃないかなと感じるので。ただただ言われたことを続ける根性があるか試している、というのもあるかもしれませんが、好きじゃないやり方です。

言い方に関しては、「〇〇が出来ていない」の前後に、「なんだこの下手くそな描写は」「何年やっとるんだお前」「これで人間描いたつもりなの?」みたいなのをくっ付けると、この付け足した部分は辛口なんじゃなくて、ただの罵倒ですよね。言うべきことをズバッと言ったのではなくて、不要なものが混ざっています。

微妙なところだと「この描き方だと骨折して見える」「首の描き方がおかしい、寝違えたみたい」というような言い方は、骨折したり寝違えて見えるのは結構事実だったりすると、単純な罵倒とは言えないでしょう。ただ、骨折や寝違えたなどの文言は出さずとも指摘できることではあります。正しい姿勢になっていないとか、不自然に見えるとか、それで普通に伝わります。

こうやって書くと、下手くそなのも事実だったらしょうがないだろ、という人がいるかもしれませんが、下手くそや上手いというのは、絶対的にも相対的な感じにも使えそうな言葉だから、基準があいまいで主観的、感情的な言葉として伝わりやすく、そして、良くないところを指摘するのに下手くそという言葉を使う必要性もメリットも感じないと言いたいです。

最悪なのは、「何回言っても同じことが修正できていない!」と生徒の作品を破り捨てたり、上からグシャグシャ汚してダメにしちゃうことです。厳しいとは全く違って、これだとただ怒り狂ってるか、指導にかこつけたストレス発散ですね。生徒の作品をいじくってバカにして遊んじゃうとかも、下劣極まりないと思います。

そしてこういった「厳しいとは違う数々の愚劣な行為」を、前もってやるかもしれないと念押ししておけば許されるかというと、それも微妙なところだと思うんです。「私の指導を受けるということは、指導以外の理不尽な嘲笑や怒りも受け止める覚悟があるということだな?出来ないなら他へ行け」と、ここまで露骨な書き方でなくても、こういったニュアンスが含まれている師弟関係、教育現場は数多くある、あったと思っています。

さらに、厳しい指導と称してくっついてくる納得できない行為の数々を、上達したい、この人、この機関の影響力に乗っかりたい、といった感情から、ただ耐えている人だって多いでしょう。

暴力行為が蔓延った有名野球部、みたいなのを想像してもらえば分かりやすいと思います。身体的、精神的暴力の伴った指導は嫌だけど、ここで上達、活躍して、ゆくゆくはプロに……だから歯を食いしばって耐えよう、みたいな。厳しさを勘違いした上下関係、「俺らも指導と呼べないような行為を受けてきたから、下級生に同じようにやるぞ、これは教育、指導なんだ」みたいなのに飲まれて、自分も変質してしまったりとかだってあり得ます。若ければ影響も受けやすいでしょう。

もちろんわざわざそんな野球部を選ばなくたって、他の健全な有名野球部を選べばいいというのは、その通りです。でも、だからといって、暴力行為、誹謗中傷が正当化されるわけもないのです。技術的指導は上達の助けになるとしても、それとこれとは話が別だと思います。

運動系の話、しかも体罰や違法な指導がどうとかの話に例えてしまったら、分かりにくかったでしょうか?でも、根本の部分では全く違うと言えますかね?エンタメだからと、双方納得の上だと、いじっているだけだと、じゃれているだけだと言い換えたら大丈夫ですか?

「攻撃されたり、からかわれている誰かを見るのって面白い」と感じる心は、多数の人間にあると思うんです。質にもよるし、人によって許容できる程度が変わるし、攻撃されている側にどっぷり共感する、出来る人は、そんなの全く面白くない、って人もいると思うんですけど。

誰かが誰かにボロクソにされているのを見物するのはスカッとする、それがいじめなら(それをよしとして見ている自分が非難されるから、自分の程度が下がるから)ダメだろうけど、叩かれる側に技術的に問題があるなら、そしてあらかじめそうされるのを了承しているなら、構わないだろうか?という話です。難しいですね。

ちなみに私は、誰かが誰かに皮肉を言うのも、ブラックジョークも、不謹慎と受け取られかねない笑いも、あだ名をつける文化も、嫌いじゃないです。笑っちゃうことも多いですね。だからといって、それらでダメージを受ける人をないがしろにしていいとも、もちろん思いません。

指導を求めてきた人を、修正点と嘲笑を混ぜつつ大勢の前で見世物にするのは、指導される側のことを考えたらかわいそう、面白くもなんともないだろうという気持ちと、そこは考えずに普通に笑っちゃう下衆い感情と、両方あります。金にはなるでしょうね。自分がやれるかと言われたら、やりません。

技術的指導と罵倒や嘲笑は、それらを混ぜていい感じの言葉に言い換えてはダメだと思う、という話でした。人間は、若干後ろめたいことはマイルドな言葉、表現に捻じ曲げてしまいがちだと思うのです。気を付けたいですね。

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