画力を上げることが最大の目的になるのは危ういのか

イラスト用の雑記 イラスト

先日SNSを眺めていましたら、イラストを描くにあたって、画力を上げることに固執しすぎるのは良くないのでは?というようなポストが流れてきました。

自分が楽しく描くのが大事、推しが好きという気持ちを表現するのが第一、いやいや画力がないと表現の幅が狭まるだろ、というような、それぞれが思い思いのことを呟くさまを目にして、おっさんもせっかく自由帳を持っているので、自分の好きなことを書いてみるかと思った次第です。

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絵を描く目的、描き方に「こうあるべき」が必要なのか

皆さんはどうして絵を描いているのでしょうか。どんな理由があるのか、いくつか私が思いつくものを挙げてみます。

  1. 絵を描いていると楽しいから。
  2. 絵を描くのが上手くなりたいから。
  3. 好きなものを表現するのが楽しいから。
  4. 出来上がったものを見せて褒められるのが嬉しいから。
  5. 絵を通して友達と付き合うのが楽しいから。
  6. 有名になりたい、ちやほやされたいから。
  7. 将来イラストに携わる仕事がしたいから。

こんなところでしょうか?どれが良いというのはないし、たとえ6番だったとしても、悪いことじゃないと思います。絵を描くのが楽しい理由に2番~6番が含まれ、人によってその割合が違う感じではないでしょうか。

「上手い人がいすぎて自分で描く意味がない」みたいな言葉も目にしましたが、「描くことそのものが楽しい」という気持ちがない、もしくは薄いと、こういう思考になるのだと思います。上手い人の歌を聴きつつも自分で歌うのも好きとか、華麗なゲームプレイを見つつも自分でやるのも楽しいとか、絵もそういうのと同じな気がするんですが、3~6番なら、「絵を描く」という行為そのものには強烈なこだわりがない場合も考えられます。もちろんそれが悪いというつもりはありません。

私はというと、絵描きとして上達することを、一番の絵を描く原動力にしています。でももちろん好きなものを描くのが楽しいし、描くという行為が楽しいです。それと同時に、絵が褒められたら、多くの人の目に触れたら嬉しいです。だからSNSにイラストを上げています。順番が逆で、人に褒められたいから上手くなりたいのかもしれません。しかし、他人の気分に依存する動機を第一に考えてしまうと、苦しくなる気がするのです。なので少しずつでも、自分が上手くなったと思えるように描いていくことを第一に考えています。上手くなっていけば絵に反応してくれる人も増えるだろうし、上達することも楽しさの一種だとも思いますので。

例えばゲームの中でキャラを強くしても、一銭にもならなくたってやったりしますよね?一人用のゲームですら、レベルを上げて満足したいから、先が見たいから上げるじゃないですか。私はそれが絵の腕前にも当てはまるというか。途中で飽きるかもしれませんけど、今のところはジジイになっても描き続けてこつこつレベル上げしたいんです。

描き続ける為には体がある程度健康じゃなきゃな……ということで、暴飲暴食しすぎないとか、体を動かすこともしなきゃとか考えたりして、プラスになる面もあります。おじいちゃんになる頃くらいには、神絵師と呼ばれるくらい上手くなってたらいいなとか思ったりもしますが、そうなれない可能性もあるでしょう。もちろん突然ポックリいってもそれはそれで仕方なしで、何かに夢中の間に終わる人生も悪くない気がします。

重要なのは、「それぞれの人が、一番だと思っている絵を描く目的」に、優劣を付けたがらないことではないでしょうか。「絵を描く目的や理由には、こういう気持ちが大事だと思う」と表明することは、自分もそれを見た他人も、やる気や動機を改めて考える一助になるでしょうが、同時に無意識に、自他の絵に対しての姿勢の優劣を比べることになりがちです。記事タイトルにある言葉が、どれか一つの理由に固執しすぎるとよくない結果につながるのでは?という問題提起だとしたら、それはその通りでしょう。ありがちな答えとして、楽しさも、好きを表現したい気持ちも、画力も全部等しく大事で、どれかが著しく欠けるとおそらく良くなく、多くの人が大体、まぁ全部大事だよねで落ち着く話な気がします。

その中で、「画力を上げることが第一でないほうがいいかも」みたいな言葉になったのは、理由が一つじゃないかもしれない。努力しても画力が上がらず悩む自分や他人を見て、思うことがあって言ったことかもしれないし、画力至上主義の主張を見てモヤッとしたから言ったのかもしれないし、他のもっとカッコよくない理由があるのにいいこと言ってる風で隠しただけかもしれない。

「考えは人それぞれ」で終わってしまうようなことだけが言いたくてこの記事を書いたわけではないのです。

画力を上げようとすることって、思い通りにいかなくて苦しむことも多いと思うんです。それで折れてしまわないように、「いや、私は画力が上げたいんじゃなくて、楽しく推しが描きたいだけなんだ」って自分に言い聞かせたりする感じになると、これはこれで精神的に良くないこともある気がするのです。

「上手くなろうと思って描いてるわけじゃないから」「交流が楽しくて描いてるだけだから」とかも、もちろん本当にそうならいいと思います。実際に絵を描き始めた理由が、友達同士で楽しそうに絵を見せ合っているのがまぶしかった、という人もいるでしょう。ただ、画力が上がらないことに対しての焦燥感や諦めを見ないふりをするために言っている部分もあるなら、危うい気がするのです。裏に「反応が欲しくて描いてる」がメチャクチャ色濃く滲んでたりする場合とかも。

「誰かの癖に刺さればと思って描いてる」みたいなのもよく耳にしますけど、上記と同じく、いろんな色が混じる言葉だと思います。絵に相応の熱量があれば刺さる人もいるでしょう。でもそうじゃないなら、誰かとは誰でしょう?どんな絵でも何故か大げさに称賛してくれる理想の誰かでしょうか?「お互いに名前も知らない、初めて自分の絵を見た誰かの好みに刺さる絵」って、何らかの向上心や表現力の結果で描けた絵なんじゃないか?と思うわけです。絵で癖を表現するのには大体画力が要ります。妄想つぶやきポストの補助の挿絵や簡単なマンガみたいなのなら、要らないと思いますけども、その場合は刺さったのは絵じゃなくて妄想つぶやきの方ですよね。

なんでこんなキツめのことを書くのかというと、認めにくい本心と向き合ったり、そのことについて考えるのがつらいので、聞こえのいい理由にすり替えているように見えたり、どうしたらいいのかわからなくなっていたり、悩んでいたり、という風に見える人が、SNSのポストやお悩み相談、ユーチューブなどのコメント欄を見ていてそこそこ存在するように感じるからです。全員がそうだとはもちろん言いません。私がひねくれていたり、深読みしすぎな見方をしているだけならそれでいいです。満足しているならいいのです。でも違うなら、その場しのぎの痛み止めのような処置で紛らわすより、出来るペースで、問題の根本に少しずつ取り掛かる必要があるのではないかと思うのです。

上達や変化を感じられなくなった時や、そのせいで達成感がなくなったときなどに、物事はつまらなくなるというのも聞いた気がします。

画力の話だけじゃないです。実は反応が欲しいのに、「いいねやリポスト、フォロワーの数は気にせず、描きたいから描いています」とかもそうです。本心がそれならいいですけど、本当はかなり数字を気にしているなら、それを見ないふりをしたまま不満をためながら同じように描き続けるよりも、他人の反応やいい評価が欲しいという事実に向き合い、画力の向上、同じ趣味とのアカウントの交流や、誰かのメリットになる行動を起こしたり、少しずつでもプラスアルファに取り組んでみた方が数字は上がりそうですよね?そもそもどうして数字が欲しいんだ?と自分の内面について考えてみるのも良いと思います。

これに関しては私も気を付けないといけないところで、画力の向上を第一に考えているなんて言っていても、じゃあこれから先いいねやリポストがゼロでも描き続けるの?と問われたら、難しいところでしょう。SNSの数字は画力の高さだけを表しているものではないですが、しかし「画力の高さだけで、見たいと思われる絵を描けるようになりたい!」というのが一番の原動力であるなら、それをはかることが出来るのも数字だけなのですから。

仮に反応がなくなっても描く情熱が失われないとしても、ただ絵をSNSに垂れ流す意味は薄れるでしょう。イラコンとかに応募するなり、上手い絵の描き方などを実践付きで配信するなり、画力に対する反応を知ったり、それに対しての報酬を得る方法は他にもありますし。新しいことに手を出すためには色々なパワーが要るので、そんなことはなかなかできないと思いますが。まぁSNSに描いた絵を上げるのも、ブログを作って文章書くのも、わりと頑張った行動かもしれません。とりあえず、絵を描くことに対する報酬が楽しさと上達だけになるなら、今より描く頻度は下がるでしょう。ゲームもやりたいし。

現状は、定期的に絵に反応してくださる人が増えている上に、楽しいなら、描きたいと思うキャラや構図が思いつくなら、ごちゃごちゃ考えるのは描き続けて上手くなってからでもいいやん、他のことを考えるのは面倒くさいから、描く気がある間は多少の向上心を持ちつつ手だけ動かそう、みたいな思考で好きなものを描いています。描いたキャラが好きなアカウントがいいねをくれると嬉しいです。

話が少しそれましたが、何が言いたかったのかというと。

画力を上げると、結構いろいろな、イラストに関した悩みが解決する気がするんです。細かいことでごちゃごちゃ悩まずに、どうやったら上手くなるかだけ考えて練習してごり押しするのって、割と悪くない行動の一つじゃないかと思ったり。気が付いたら神絵師の腕前だけが手元に残って、周りには何もなかったわ……の状態になっても、そこからやりようはいくらでもあるんじゃないかと。

あの人に比べて私の技術や成長速度は……→めっちゃ絵を練習する!

時間かけて描いた絵に全然反応がない……→とりあえずめっちゃ絵を練習する!

こちらから他人にコミュニケーションをとってもイマイチ反応が薄い……→よし、絵を練習する!

ちなみに、絵描き友達が欲しいとか、自分の人格面に問題があるとか、そういうのを解決するには、イラスト関連とは別のスキルが要ると思いますので、筋トレでも始めてみてはいかがでしょうか。

もちろん画力を上げることに向き合った結果、絵が楽しくなくなりそうだから、上手くなることにこだわるのをやめた、と言い切るならそれでもいいと思います。

でもなんというか、人と成長速度を比べずに(ここ大事)、自分のペースで画力を上げるために注力するのって、人の反応に依存したり数字を気にしたりするより、割と健全だと思うのです。程度にもよるんですけど、成長することに一生懸命になるのって、もっといい感じに言われていいと思うというか。

「技術より好きという気持ちが大事」って、やらない言い訳や無意味な停滞を、カッコよく上塗りする言葉になってるだけの時があったりしないかと思ったり。「一緒にバスケをするのが息苦しい、スラムダンクの赤木」みたいには、ならないほうがいいと思うんですけど。イラストは一人で描けるし、姿勢を人に押し付けることもしないで済むので、そこはチームスポーツとは違いますね。もちろんただ描きたいときは、手癖で描きなぐった絵を放流しまくってもいいですし。

結局、人と比べず、マイペースに少しずつでも向上心を持って、上達するのは楽しさの一つだよみたいな、そういうことが他人にも自分にも言いたかった話だったのかもしれないです。グダグダ色々なことを書き連ねるのが、とても楽しめた気もします。皆さんも今一度、自分がなぜ絵を描くのが楽しいのか、楽しかったのか、カッコつけず素直な気持ちで考えてみてはいかがでしょうか。

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